最低にして最高の・・・

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                              高村光太郎作《手》

 百合がにほふ   高村光太郎

 どうでもよい事と
 どうでもよくない事とある。
 あらぬ事にうろたへたり、
 さし置きがたい事にうかつであつたり、
 さういふ不明はよさう。
 千載の見とほしによる事と
 今が今のつとめとがある。
 それとこれとのけぢめもつかず、
 結局議論に終るのはよさう。
 庭前の百合の花がにほつてくる。
 私はその小さい芽からの成長を知つている。
 いかに営営たる毎日であつたかを知つている。
 私は最低に生きよう。
 そして最高をこひねがはう。
 最高とはこの天然の確率に循(したが)つて、
 千載の悠久の意味と、
 今日の非常の意味とに目ざめた上、
 われら民族のどうでもよくない一大事に
 数ならぬ醜(しこ)のこの身をささげる事だ。


最近、読んで心惹かれた詩。
数年前、同じく光太郎の『最低にして最高の道』という詩を知り、
心に突き刺さった経験がある。
その時の私には痛切で、そして温かくもあった。

その連作のように書かれたのが、この百合の詩だ。

日頃、惑わされているのは些細な事ばかり。
でも、もっと先の、ずっと先の事を思い描いて、
おおらかに生きていこうではないか、と言われている様な気がする。
夢と現実、最高と最低の間を、一日に何度も行き来しながら、
それでも人は前を向いて生きて行くのだと思う。


       
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by myuyama | 2008-10-27 20:13 | Comments(0)